2026-06-15 ADIDAS vs. PUMA兄弟喧嘩|世界を二分したスニーカー戦争

ドイツの小さな町、ヘルツォーゲンアウラッハで、この物語は始まります。

アディダスとプーマ、この二大ブランドの創業者は実の兄弟で、しかも激しく対立していたのをご存じでしょうか?

兄ダスラールドルフ
弟ダスラーアドルフ
1920年に「ダスラー兄弟商会」が誕生。
技術肌の弟アディと、営業に長けた商才ある兄ルドルフ。正反対な二人の挑戦が始まります。
ダスラー兄弟会社が大きく飛躍するきっかけがベルリンオリンピックです。
弟アディは、自身が手掛けたシューズをアメリカ代表の黒人選手ジェシー・オーエンスに託しました。他国の選手に託すことを兄のルドルフは反対しましたが、最終的にシューズはオーエンスのもとへ渡りました。

オーエンスは大会で4つの金メダルを獲得。この瞬間、「ダスラー兄弟商会」のシューズは世界の舞台で一躍注目を浴びたのですが兄弟の亀裂の始まりとなりました

更に1939年、第二次世界大戦が勃発。
工場は軍需工場へと転用され、兄弟の関係も次第に悪化していきます。

終戦間際、兄ルドルフは連合軍に逮捕されます。その原因が「弟の密告だ」と思い込んだことで、二人の関係は完全に崩壊。「ダスラー兄弟商会」は終焉を迎えます
そして1948年、兄ルドルフは「PUMA」を、弟アディは「adidas」を設立しました

兄弟の対立はサッカー界を舞台に熾烈さを増していきます。

1960年代後半、両社は「ペレとだけは契約しない」という“ペレ協定”を結びます。サッカー界のスーパースターであるペレをめぐって、過熱する競争に歯止めをかけるための苦肉の策でした。

しかし1970年、ワールドカップ・メキシコ大会。
この暗黙のルールを、兄側のPUMAが破ります
試合開始前、ペレは突然レフェリーにタイムを要求。ピッチの中央でゆっくりとしゃがみ込み、スパイクのひもを結び直し始めました。その足元には、鮮やかなフォームストライプが走るPUMAのスパイク。

“ペレ・ストップ”。

わずか数十秒の動作が、全世界にテレビ中継され、PUMAの名を一瞬で広めることとなりました。

一方で、弟アディダス陣営は激しく憤慨。兄が裏切ったと断じ、両社の関係は完全に修復不能のものとなります。家族の争いは、サッカーの頂点でついに決定的な決裂へと変わったのです。

2026FIFA WORLD CUPが開催されました

FIFAの歴史の中に世界を代表するシューズメーカーの熾烈な競争、確執があった事を仲間たちと試合観戦する時の豆知識として語ってみて下さいね

追伸 日本でも同族経営のケンカ別れは幾つもあります

大塚家具や上島コーヒー、星野リゾートやタカタ、西武他にも沢山

BMS会員も親子や兄弟経営されている方は沢山居られると思いますが事業を継承、スタートする時になぁなぁ、ではなくしっかり役割分担や食い違いが起きた時の決済手段などを場合によっては弁護士他代理人を立てて決めておく事が大事なんだと思います

※毎週お届けしているメルマガは時代のトピックスやビジネスの捉え方他、会員の参考になる様な話しを選んでチョイスしています
お読み頂いた方からのご意見、ご要望を頂けましたら今後の参考や取り上げる題材にさせて頂きますので宜しくお願い致します