2025-09-16 NPTについて考える——“核”を語るという健全さ

先日、石破首相が訪米中に、トランプ大統領との会談で80兆円規模の対米投資を約束したとの報道がありました。国会での財源論の詰めもなく、国民への説明責任も果たされないまま、事実上の国際合意が形成されてしまったことに、強烈な違和感を覚えます。

これまで自民党は、国内での公共投資や社会保障の拡充に際して「財源がない」と繰り返してきました。しかし、ことが外交と安全保障に関わる場面では、突如として巨額の資金を拠出できる。この落差の背景には、単なる対米追従では済まされない、もっと根本的な「立場の弱さ」があるのではないか――そう感じるのです。

その「弱さ」の一端は、日本が核兵器を保有していないという現実にあると考えます。冷静に周辺国を見渡せば、米・中・露・北朝鮮といった核保有国に囲まれ、非核保有国としての日本は、いわば“安全保障の消費者”という立場に甘んじているとも言えるでしょう。だからこそ、対等な交渉ではなく、時に一方的な“負担”を引き受けざるを得なくなるのだと考えます。

そのような中で、「核保有は最も安上がりな防衛策だ」と語る政治家が登場しました。これまで、日本では「核」に関する議論そのものがタブー視されてきました。被爆国としての倫理的立場に加え、米国の“核の傘”への依存が、それを後押ししてきたとも言えます。またWGIP(War Guilt Information Program)により、戦後の教育や報道の方向性が決められてきたことも、核議論が抑制されてきた一因です。しかし今、そうした“潔癖”とも言える空気に、少しずつ変化の兆しが現れているように感じます。

現実に目を向ければ、NPT(核拡散防止条約)体制下でも、米英仏中露の5か国に加え、実質的な核保有国としてインド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮が存在しています。

今までは世界のホットスポットの最前線は中東であり、またロシアとNATOに挟まれた東欧エリアでした。現在、ロシア・ウクライナ戦争や中東イスラエル周りでの動きが落ち着くと、台湾情勢の緊張と北朝鮮の不安定さという2大不安定要素が日本のすぐ近くに残るという状況になりえます。ロシア、中国、北朝鮮に囲まれ、気付けば世界の最も熱いエリアのど真ん中に日本が位置しているという状況になるかもしれないのです。

こういった核武装論を議題にあげようとすると、核保有はコストが高く、現実的ではないという意見が出て議論が立ち消えになることが良くありますが、果たしてそうでしょうか。

例えば北朝鮮のGDPは、あくまで推定値ではありますが約154億ドル。パキスタンの約3731億ドルと比較してもその小ささは際立ちます。県別GDPと比較すると、47位の鳥取県(132億ドル)以上、46位の高知県(163億ドル)未満といったところです。しかしそれでも北朝鮮は核保有を継続しています。この事実は核が“リーズナブル”である一面を物語っています。持つ意志と国家的優先順位さえあれば、経済規模に関係なく核保有は可能だということです。

もうひとつ、私たちが考慮すべきはウクライナの事例です。ソ連崩壊後、ウクライナは世界第3位の核保有国となりましたが、米英露とのブダペスト覚書を前提に核を放棄しました。しかしその後、ロシアにクリミアを併合され、現在も軍事侵攻を受けています。「核を持っていれば侵略されなかったのではないか」という議論は避けられません。紛争終結後、ウクライナが再び核保有を検討する可能性は高いと考えます。

日本のように核を持たない国が、核を持つ国に囲まれながら、どのように安全保障を確保していくのか。これは、外交官や防衛当局だけの議論ではなく、私たち自身の問題でもあります。連立の組み換えや政権交代が見えてきて、大きく政治体制や外交方針が変わろうとしている昨今、国の予算の使い方も今から大きく変わっていくと予想されます。国の予算のつき方の変化は、人為的に生み出されるビジネスの種に他なりません。

実際に日本が核を保有すべきだと言いたいのではありません。しかし、そうした選択肢が議論すらされず、封印される社会のあり方は、危ういと思うのです。生臭く、その複雑さ故、目をそむけたくなる国際情勢についての考察は、誰かに任せて置きたいという気持にもなります。しかしながらそういったことに向き合うことで、少しずつ健全な方向に向かっているという気もしています。
議論を重ね有事に備えるとともに、どういった方向にお金を使っていくのかというトレンドを見極めることで、企業としての生き残りの可能性を上げていけます。

NPTの理念を否定するつもりはありません。むしろ、日本のような国こそがその理念を真摯に尊重し、維持していく責任があるとも思います。だからこそ、現実と理念の間で揺れ動く今の時代に、あらためて「核」と「安全保障」を正面から見つめ直す必要があります。その議論を行う土壌作りは、日々こういったことに触れる機会を増やすことから始まると思い、少し重たいテーマかと思いましたが、コラムの題材に取り上げてみました。